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一慧先生の言葉にうっかり乗って、勢いで秋田県由利本荘市に自然食堂を始めてしまう。道路拡幅に伴い、既存のアパレルセレクトショップを道 …

一慧先生の言葉にうっかり乗って、勢いで秋田県由利本荘市に自然食堂を始めてしまう。道路拡幅に伴い、既存のアパレルセレクトショップを道向かいに新築することになっていたのだが、目いっぱい借金をして「つつじ堂」というお寺のような建物を建てた。一階をブティック、二階を自然食堂にして。

SONYでAIBOを開発した天外伺朗さんの紹介で知り合った深澤大輝君に自然食堂の監修をお願いした。彼は伝説の湯島食堂のシェフだった。湯島食堂は、お客様とコミュニケーションをとり、一人一人の体調に合わせた料理を即興で作るという前代未聞の食堂で、今も伝説として語り継がれている。深澤君は湯島食堂が閉店してから藤沢市のECOMOという自然食堂の監修をしていた。彼の料理を食べたら、胸がすくという感じの清々しさがあった。

カラダを削いで以来パンを食べるとカラダが重くなるようになった。そこで彼に、カラダが重くならないパンの開発をお願いした。F1種ではない小麦選びから始まり、白神こだま酵母を使い、加水率をギリギリまで上げ、酸化しにくい高価なココナッツオイルを使った。お客様が増えるまで毎日、売れ残ったパンを廃棄した。廃棄する度、こんなことを続けてよいのかと苦しくなった。1年かけて、カラダが重くならない小麦の香り豊かなパンが出来た。ポイントは単糖類になる直前で発酵を止めるところにあった。一般常識と違っていたので僕らには大発見だった。

さあようやくこれで拡販ができると意気込んだ途端、パン作りに励んでくれていた男性スタッフが、山形に婿入りするからと退職した。

後任が見つかっても、同じようなパンができるまで一年はかかるだろうと思うと気が重くなった。パン製造のために投資した機材は1,000万ほどだったが、背に腹変えられずレシピをもって地元のパン工場さんに製造をお願いしに行く。しかし機械も工程も違いすぎてうまくいかない。工場の社長さんも粋に感じてくれて4ヶ月ほど一緒に改良を続け、希望が出てきたその矢先、突如その工場さんに大口の新規取引が舞い込み、共同研究を断られてしまう。

パンの道。あきらめずに進むかやめるか・・・